2023年11月27日

フィンランドのサウナ

 土曜日。疲れた体を休めようと自転車でお気に入りのサウナ施設へ行った。ここは昭和の香りが漂う前時代的なサウナで、和風の入れ墨をけっこう見かけるし、お風呂の壁に描かれているのは、ペンキ絵の富士山ではなくエッチング風の裸婦。天井を見上げるとカビやサビが抽象画みたいな線や面を描いている。決して清潔とは言えないけれど、長く地元の人たちに愛されて来た場所が持つ温かい雰囲気がある。

 ここはサウナの中で本を読むことができるのも魅力のひとつ。浴場の入り口には、シワシワにふやけたマンガ本がたくさん入ったカゴが置かれ、サウナ室では、みんなマンガを読んでいる。僕もここでは本を持ち込んでサウナに入る。サウナに入った後に、ガウン姿でリクライニングシートに横になっていたら、本場フィンランドで巡ったサウナを思い出した。

 フィンランドのサウナは、日本のお風呂のような存在で、日本人が湯に浸かるようにサウナに入る。なのでフィンランドでは自宅にサウナがある家も多いし、公共のサウナも日本の銭湯のように街にたくさんある。たぶん、日本人は世界で最もお風呂が好きな国民だと思うのだけど、それと同じようにフィンランド人は世界で最もサウナが好きな国民だと思う。そこへの向き合い方も似ていて、フィンランドで巡った公共サウナは、日本の銭湯や温泉地の共同浴場の雰囲気に近い。もちろん、いかにも北欧といった感じのモダンでおしゃれなサウナ施設もあったけど、僕はそれよりも地元の人が通う古くて味のあるサウナ施設に惹かれた。

 例えば、タンペレで訪れた1906年創業のフィンランド現役最古の公衆サウナ、ラヤポルティ サウナは、日本の古き良き銭湯といった雰囲気だった。一歩足を踏み入れると、庭先のベンチで湯気を体から発して座っている人たちが迎えてくれる。彼らの間を通って、「SAUNA」と壁に描かれた建物に入り、受付でお金を払う。男性用のドアを開けると、服を掛けられるフックにベンチがあるだけの簡素な脱衣所がある。

 ここで服を脱ぎ、脱衣所の奥にある古い木のドアを開けると、壁がむき出しのコンクリートで囲まれた洞窟のようなサウナ室がある。ロフトのような構造の小さな階段を上段に上がって、そこに座って温まる。しばらくすると、地元の常連らしき人がサウナ室を出るついでに、巨大な石作りのストーブに2メートルくらいあるひしゃくで水を注ぎ入れた。すると、ジョワーという音とともに刺すような熱気に包まれる。

 座る場所とストーブが離れているこのサウナでは、サウナ室から出る前に、ロウリュ(ストーブで熱した石に水をかけることで、蒸気を発生させて温度もあげる)をするのが流儀なようで、その都度、地元の人は熱い蒸気を浴びながら、彼らに「ありがとう」と声をかけていた。

 何度か熱風のような蒸気を浴びると、僕も耐えられなくなり、階段を降りて、1階にある洗い場で桶を使ってざっとお湯を浴び、タオルを巻いて外に出た。ほてった体に秋の冷んやりした空気が気持ちいい。地元の常連にならって僕もビールを飲みながら、ベンチに座って外気浴をする。すると、前に座っていた地元のおじさんが「どこから来たんだ?」と話しかけてきた。「日本です」と答えると、「おお、日本かあ。ここのサウナは素晴らしいだろ?」と話は続く。ここに限らず、公共のサウナに行くと、たいてい地元の人から声をかけられ、同じようなやりとりを何度もすることになる。

「今日は学校が休みでね。こう見えても俺は学生なんだよ」とおじさんは自己紹介をするように話し始めた。「じゃあ、勉強が好きなんですね」と、どう見ても50歳は過ぎているおじさんに僕は返した。

 すると彼は、「いや、勉強なんて好きなわけないだろ。おれはずっと腰が悪くて、働くことはできないんだけど、学生になると国からお金が出るんだよ。週に3日間通うだけで、月に3000ユーロもらえるんだぜ。さらに保険も出るしね」と、まるで人生楽勝だと言わんばかりの笑顔で語った。さらに、「夏休みには毎年女房と一緒に海外旅行に行っているんだ。今年はタイに行ったから、来年は日本に行こうかな」と加えた。僕は、フィンランドの手厚い社会保障制度の現実を垣間見て、ちょっと複雑な気持ちになったけれど、「日本のサウナもきっと気に入ると思うから、日本に来たらぜひ入ってみてよ」と答えた。旅先ではこんなやりとりが楽しい。

 湖畔にある公衆サウナのラウハニエミは、日本で言うと、自然に囲まれた温泉地の公共の露天風呂といった雰囲気。ここでは水着に着替えてサウナに入る。3、40人が入れる広いサウナ室は、仕事終わりらしきおじさんたちに、もの静かなおじさんとサウナなのに派手な化粧をしたおばさんの夫婦、学校帰りの女学生など、地元の人たちでいっぱいだった。みんな賑やかに話をしながらサウナに入っている。

 地元の常連らしきおじさんが、ストーブの前を陣取り、何度も何度もロウリュを繰り返すから、サウナ室は常に熱い蒸気に包まれている。耐え切れなくなってサウナを出ると、目の前にある湖にドボンと入る。湖の水温は12度。足がつかないくらい深い湖に頭まで潜ると、ベンチに座って外気浴をする。目の前には広大な湖、その周りには森の風景が広がる。

 すると常連のおじさんが、「ここには子供の頃からもう50年以上通っているんだ」と自慢げに話かけてきた。冬には氷が張るから、そこに穴を開けて湖に入る。あたたかい夏には開放的な気分で湖でたっぷり泳ぐ。50年間、春夏秋冬を繰り返し、サウナを楽しんできたそうだ。確かに週に何日かここに通えれば、それだけで人生は豊かで充実したものになるような気がした。

 ふと目が醒めると、薄暗い壁に浮世絵の美人画が見えた。僕は、東京にある昭和感たっぷりのサウナにいることを思い出した。サウナ上がりに休憩室のリクライニングシートに横になっていたら、そのまま眠ってしまったみたいだった。時計を見ると9時を過ぎている。僕はあわてて着替えてサウナを出た。フィンランドのサウナもよかったけれど、こんな風に思わず寝入ってしまうくらいくつろげる日本のサウナも悪くない。

 この日は、夜の9時から2週間前に開催した山田稔明さんのライブの配信あった。僕はスマホで配信ライブを聴きながら、夜の東京を自転車で走らせ、家に向かった。冷え込みが少し厳しくなった夜の冷気が、風呂上がりの身体に気持ちいい。静かな住宅街を抜け、賑やかな繁華街に出た。冷たい風とライトアップされた街の風景が、年末が近づいてくるのを感じさせた。そんな中でイヤフォンから聴こえる、山田さんの「blue moon skyline」が心に響く。今年もあと1カ月とちょっとですね。いろいろあるけど、がんばりましょう。