マッチの魅力
フィンランドを旅していたときのこと。スーパーマーケットで、箱に欧州旗がデザインされているマッチを見つけて、衝動的に買い物カゴに入れた。
青地の四角い箱の中心には、12個の星が円を描くように並び、上下に「EUROPE」と、フィンランド語で森を意味する「HOLZER」という文字がヘルベチカのようなシンプルなゴシック体でレイアウトされている。箱を開けると、マッチの頭薬も青で統一されていて、フィンランドらしく洗練されたデザインでかっこいい。
フィンランドを舞台にした「マッチ工場の少女」という映画がある。映画は、マッチ工場でマッチが作られていくシーンから始まる。丸太がグラインダーで削られ薄い板になり、それらを重ねて断裁して細い棒を作ると、棒の先端に頭薬がつけられ、箱詰めされて、さらに何個かまとめて包装されていく。少女は年代物の機械から流れてくる、包装されたパッケージに貼られたラベルをチェックし、きちんと貼られていないものを取り除いたり、貼り直したりしている。
木材が多いフィンランドでは、マッチは産業のひとつだったのかもしれない。僕が買ったのは、マッチが12個分シュリンクパックされてるものだったので、それから旅の間はずっと、そのマッチでタバコの火をつけて、その都度フィンランド気分を味わっていた。
先日、兵庫県でマッチ工場を営んでいる社長とお話をする機会があった。彼が話してくれた日本のマッチ産業の歴史は、時代の影響を大きく受けたまさに諸行無常の物語で、とても興味深く聞くことができた。
日本では明治以降にマッチの生産が始まり、大正期には種類の豊富さや品質が海外でも高く評価され、重要な輸出産業に育ったとのこと。昭和になると、機械化が進み、日本国内での需要も高まることで、産業としてさらに発展。その後、高度経済成長時の1970年代をピークに、徐々に衰退していったそうだ。
1970年代半ば、それまでマッチで火をつけていたガスコンロ、湯沸かし器、石油ストーブなどが、徐々に自動着火式になったことに加えて(昔はその都度マッチで火をつけていたんですよね)、100円ライターが登場したことで、マッチの需要は急速に低下。それでも80年代から90年代までは、喫茶店やホテル、飲み屋などの名入れマッチによって、ある程度の売上を維持してきた。
その後、ご存じのように喫茶店やホテルなどでの禁煙化が進み、最近ではそれらの名入れマッチも激変。今ではほとんど見かけることもなくなった。さらに追い討ちをかけるように、昨今は電子タバコの普及で、ただでさえ少なくなった喫煙者の中でも、火を使わない人が急増。最近はマッチを使ったことがないという若い人もけっこういると言う。
ノートやダイアリー、手紙などの紙製品も、インターネットやデジタルの発展によって、それなりに影響を受けているとは思うけれど、僕らが作るノートやダイアリーはマスプロダクトではないし、その影響の大きさは、マッチとはまったく比較にならないと思う。
それでも僕はマッチが好きで、今はもうほとんどないけれど、たまに旅先の喫茶店やホテルでマッチを見つけると必ず手に入れるようにしている。使っている間は、その場所のことを思い出せるし、形やデザインもいろいろで楽しい。
僕はそのときたまたま持っていた、カプセルホテルでもらったマッチを社長に見せると、「これはブックマッチという形なんですが、日本では最近、ブックマッチの生産が終了してしまったんですよ」と教えてくれた。
ブックマッチは、紙製のマッチを厚紙で挟むようにカバーしてある形状のマッチで、厚みが薄い分ポケットに入れてもかさばらないし、紙のマッチを引きちぎって灯すのもなかなか味わいがあって、昔は好んで使っていた。コストが安いせいか、喫茶店などでもらうマッチは、この形が一番多かったような気がする。それにしても、いままで普通にあったものがなくなってしまうのは、やっぱり寂しい。「もうなくなっちゃうんですね」と僕は言うと、そのとき手にしていたブックマッチが急に貴重なものに思えてきた。
「マッチの箱にもいろいろあって、四角いものだけでなく、パレス型といって、側面が楕円形になっているものもあるんですよ。今はもうほとんど作られていないですけど」など、社長は他にもマッチのことをいろいろ教えてくれた。
社長は、マッチの需要が少なくなっていくのをただ嘆くだけではなく、その技術や素材を使ったあたらしいプロダクトの開発も行っていて、実際にそれらの売上の割合が多くを占めるようになっているとのこと。現在、トラベラーズファクトリーで販売させてもらっている、マッチのように着火できるお香「hibi」もそのひとつ。例えば、旅先のホテルや夜のオフィスなどでも気軽に、心地よい香りを楽しめるし、ちょっとしたギフトにもおすすめです。
僕は話を終えると、ひとりで外の喫煙所まで行き、マッチでタバコの火をつけた。マッチを箱から取り出して側面にシュッとこすり、ボッと火が灯る瞬間は、ちょっと心が躍る。ライターと違って、マッチは小さな木の棒に火を灯すことで、焚き火のときに感じるような高揚感を思い出させてくれるし、大袈裟に言えば、原始の頃に人類が火を手に入れたときに感じたであろう、火への畏敬の念を思い出させてくれるような気がする。
僕がいまだにタバコをやめられないのは、マッチで火を灯す瞬間が好きだからなのかもしれない。マッチがこの世界からなくなったら、僕もタバコをやめるのかな。なんてね。すみません、普通にライターも使っていました。そんなわけで、最後に映画「パターソン」で綴られるマッチについての詩を引用したいと思います。
「我が家にはたくさんのマッチがある
常に手元に置いている
目下お気に入りの銘柄は
オハイオ印のブルーチップ
でも以前はダイアモンド印だった
それはオハイオ印のブルーチップを
見つける前のことだ
その素晴らしいパッケージ
頑丈な作りの小さな箱
ブルーの濃淡と白のラベル
言葉がメガホン状に書かれている
まるで世界に向かって叫んでいるようだ
これぞ世界で最も美しいマッチだ
1.5インチの柔らかなマツ材の軸に
ざらざらした濃い青紫の頭薬
厳粛ですさまじくも断固たる構え
炎と燃えるために
おそらく愛する女性の煙草に
初めて火を付けたら何かが変わる…」