2024年1月22日

東京

 もともと寒いのが苦手なこともあって、昨年までは1月と2月は、自転車通勤をお休みしていたのだけど。今年は天気予報をチェックして、比較的気温が高そうな日には自転車通勤を続けている。単純だけど、東京を走るシーンがルーティンのように繰り返される映画『PERFECT DAYS』を昨年末に観た影響なのかもしれない。

 東京でも1月になると気温がぐっと下がる。まずは手袋をつけて、ジャケットの下にはダウンのベストを着込んで万全の体制で自転車に乗ってみた。それでも剥き出しの耳に突き刺すような冷たい風が当たって辛い。そこで、子どもがよく付けるような耳当てがほしいと思った。早速手に入れようと思ったのだけど、どこに売っているのか分からない。恵比寿の駅ビルの中を、アパレルショップから雑貨屋、無印良品までありそうなところを一通り巡って見つけることができなかった耳当てをやっと発見したのは地元の100円ショップだった。

 税込110円ながらも、形はシンプルな上に色は黒で目立たないし、なにより耳がポカポカになるほど温かい。耳が温かいだけで、体感温度がぜんぜん違うことにも気がついた。正直に言えばかっこいいとは思えないけど、付けるのは自転車に乗っている間だけだし、そこはおじさんらしく妥協した。

 それでも多少は寒さは感じるのだけど、冬の凛とした冷たい空気を浴びて、自転車で走るのは意外と気持ちいい。1月の東京は、華やかで浮かれ模様の年末と比べると、ライトアップも控えめで、寒さのせいか人通りも少なめ。落ち着いた日常が戻っているように見えるのだけれど、そんな雰囲気が自転車で走っていても心地いい。

 自転車通勤は、東京の下町から恵比寿までになるので、東京23区の中心部を横断するように走る。スカイツリーの辺りを出発し、皇居まで走ってちょうど半分。そして、山手線の円を中を横断するように恵比寿まで走る。駅でたどると、押上ー浅草ー浅草橋ー日本橋ー東京ー赤坂ー六本木ー広尾ー恵比寿といったルートになる。

 そのルートを日常的に自転車で走るようになって、気づいたことのひとつに東京の美しさがある。朝、家を出るとすぐ、昨年出来たばかりの新築の相撲部屋がある。夏にはたまに見ることができる稽古風景も冬にはドアがしっかり閉められ、まったく見ることがないけれど、お相撲さんの息遣いがうっすらと聞こえてくる。相撲部屋がある角を曲がり、下町の味のある住宅街を縫うように走るローカル電車、東武亀戸線のふむきりを超えて、古い寂れた下町の商店街を走る。そんな下町の風景と、その向こうに見えるスカイツリーコントラストがなんとも東京らしい。

 さらに水上バスが浮かぶ隅田川を渡り、重厚な昭和初期の洋風建築が点在する日本橋を抜けて、クロマツが並ぶ皇居外苑に出ると空気が変わり、ふわっと緑の匂いに包まれる。そこから六本木を通り、有栖川公園の脇の坂道を走ると、再び緑の匂いを楽しめる。恵比寿に着いて、駅の駐輪場に自転車を停めると、朝のランニングをしてきたような(したことないけど)心地よい疲れに包まれる。

 仕事を終えてゆっくり走れる夜は、より東京の風景を楽しめる。恵比寿からの大通りを曲がり、広尾の商店街に入ると一瞬だけ見える東京タワーに心をときめかせ、人通りの多い六本木はささっと抜けて、皇居までの長い下り坂をいっきに走る。夜は真っ暗な日比谷公園の中をのんびり走って、土と緑の匂いがする空気を思いっきり体に入れる。そして、夜の東京駅舎が見えてくる。21時を過ぎるとライトアップも終わって、銀杏並木を歩く人もまばらだけど、そんなちょっと寂しげな東京駅舎も嫌いじゃない。

 日本橋を抜けて浅草橋のあたりに着くと、たい焼き屋がある。夏は小伝馬町のコンビニで冷たいスムージーを飲みながら休むのがルーティーンだったけど、冬は小腹が空いていたら、たい焼きをつまみにここでちょっと一休みをする。さらに走ると、ぼんやりと光る浅草寺の雷門が見えてくる。これも東京を象徴する風景のひとつだ。『PERFECT DAYS』の主人公が通っている浅草のやきそば屋にはいつか立ち寄ろうと思っているのだけど、この日はそのまま通り過ぎて、間近に迫るスカイツリーに向かってハンドルを切る。隅田川を越えれは、家まであと少し。

 東京で生まれ育ち、今も暮らす僕にとって、馴染みのエリアや好きな街はあっても、東京という場所自体には特別な思い入れはなかった。例えば、くるりの『東京』にあるような、東京が特別な感情を湧き起こすようなことはない。それと同時に、自分の生まれ故郷という感覚にも乏しい。そもそも東京は、僕の両親の出身地ではないように、他の土地からやってきた人たちの集合体のような都市だから、故郷として感情移入するには、あまりにも多様性に溢れ、大き過ぎるのかもしれない。なので、東京に暮らす地方出身者が、ふるさとと呼べる場所があって、その場所を懐かしんだり、たまに帰省したりするのを羨ましく思うこともある。

 だけど、通勤のためにルーティンのように自転車で東京を横断することで、東京をひとつのかたまりとして、俯瞰して捉えることができたような気がする。自転車のゆっくりしたスピードで距離を感じながら走るからなのか、ルーティーンのように繰り返されることで日常の風景となっているからなのか、風を受けながら心地よい気分で眺めるからなのか、山の手から皇居を通って、下町まで続く東京の風景の美しさに気づき、東京が好きだと思えるようになった。

 休日に新小岩から荒川を渡る平井大橋を自転車で走っていると、スカイツリーと東京タワーが両方見えるポイントがあるのを発見した。一見すると、距離は圧倒的に近いスカイツリーしか見えないのだけど、ビルが並ぶスカイラインの奥に小さく東京タワーが見えた。そのサイズの違いと左右の距離に、スカイツリーから東京タワーまでの道のりと風景が実感を伴って頭に浮かんできた。そのことに思いがけず感動をして、自転車を止めて、しばらくその風景を見入った。

 日本の首都で、日本の政治や経済、文化の中心地だとか、そんなことはどこかに置いといて、ただひとつの町として見ても、東京ってけっこう素敵な場所かもしれない。そんなことを思った。