2024年3月25日

5年ぶりの名入れイベント

 先週末、名入れ職人の栗山さんが5年ぶりにトラベラーズファクトリー中目黒に来てくれて、実演名入れイベントを開催した。栗山さんは、3年前に東京の巣鴨から生まれ故郷の福井に住まいを移し、アパートでひとり暮らしをしている。

 栗山さんの朝は早い。3時ごろに目が覚めてしまう。でもまだ外は暗いから、トマトジュースをぐいっとコップ一杯飲んだらまた布団に入る。そして6時ごろ再び目が醒める。すると今度は、食パンに生ハムをはさんで簡単なサンドウィッチを作って朝食をとる。そうやって軽くお腹を満たすと、もう一度寝る。そして8時に起きると、コーヒーを飲んで1日がはじまる。栗山さんはコーヒーとタバコが好きで、1日にコーヒーは5、6杯、タバコは1箱ほど嗜む。お酒も大好きだけど、福井に来てからは月に1回か2回、友人と食事に行くときだけにしている。日本海で採れた福井の魚はやっぱりおいしくて、お酒も進む。

 趣味人の栗山さんは、最近はカラオケにはまっているそうで、朝はまず夢グループから通販で買ったカラオケ1番をテレビに繋いで、演歌を歌う。目下の目標は、たまに一種に飲みに行く地元のセミプロ歌手を唸らせることで、カラオケの採点ポイントをチェックしながら、1日に1時間は練習する。さらに運動も好きで、公園で鉄棒をしたり、自転車に乗ったり、野球をしたり、走ったりと忙しい。それらの合間にお客様から注文をいただいたトラベラーズノートの名入れの仕事をやってくれている。

 そして、夕食をとると毎日必ず地元の芦原温泉に入る。近くに3、4箇所ある温泉施設をその日の気分で変えながら通い、ゆっくり温泉に浸かって1日を終える。だからアパートについているお風呂はほとんど使ったことがない。中目黒で搬入を終えた夜、飲み屋の外で一緒にタバコを吸っていると、栗山さんは「温泉を出て、夜空を見るとほんとうにきれいなんですよ。東京にいるときには夜空を見上げるなんてことはなかったのにね」と呟いた。

 そんな1日のルーティンを栗山さんから聞いていると、映画『PERFECT DAYS』の主人公、平山のことを思い出し、なんだか理想的な暮らし方のような気がした。

「五年ぶりだし、最初はけっこう不安もあったんですよ。だけど、イベントにあわせて、新しく桜のマークを作ったり、銅箔もはじめようと言ってくれたりして、みんな盛り上げてくれるから、だんだんこっちも盛り上がってきてね。だから、明日は楽しみです」と、栗山さんは外で2本目のタバコを吸いながら言ってくれた。

 イベントがはじまってから気づいたのだけど、桜のマークに似合うということで今回のイベントより追加した銅箔に、栗山さんは意外と苦戦したようで、まずは金箔を押した後にさらに銅の箔を押して仕上げていたのがわかった。

 箔はけっこう繊細で、色によってくっつき具合にも差がある。銅箔を押してみてトラベラーズノートの革との相性がよくないことに気づいた栗山さんは、試行錯誤を繰り返し、一度金の箔を押した後に銅を押すという方法を編み出した。これも40年以上の経験があっての職人技のひとつなのかもしれない。

 イベントがはじまると、お客さんがひっきりなしに来てくれて、栗山さんは5年ぶりだというのに、長時間休みなしで名入れを続けてくれた。活字を組んで箔押し機にセットして、革に押すまでの栗山さんの一挙一動を、皆さん真剣な眼差しで見つめ、箔が押された瞬間に笑顔に変わる。完成したノートを手渡すと嬉しそうにしみじみと眺め、「ありがとうございます」と言って栗山さんと写真を撮る。そんな姿をたくさん見ることができて、トラベラーズファクトリーの2階は温かい空気に包まれた。

 予定の時間を少しオーバーしてイベントが終わると、まずは店の外に出て一緒に一服した。「いやあ、疲れたけど、みんなが喜んでくれるのが嬉しいねえ」と栗山さんはおいしそうにタバコを吹かしながら言った。

「どうなることかと思ったけど、まだまだ大丈夫だな」と栗山さんが言うので、「ぜひ毎年開催しましょう。あ、でもまずは来月の京都ですね」と僕も言った。

 福井での朝のトマトジュースから夜の温泉までの1日のルーティンとあわせて、東京と京都でのイベントを1年のルーティンを加えてもらいたいと伝えると、「それもいいですね。気持ちのいい仲間と仕事をして、お客さんに喜んでもらうのは嬉しいし、東京に来てみんなと飲むのも楽しいし」と栗山さんは言ってくれた。

 古希を過ぎて何年か経つのに、仕事に誇りを持ちながらも、尊大にならず、誰にも気さく。多彩な趣味人で日々を楽しむのが上手で、おしゃれで、女の子と話すのも大好き。だけど、20歳以上年が離れている僕にも敬語で話すくらい謙虚で、自分のペースも大事にする。いやあ、ああいう人に私もなりたいとあらためて思いました。

 イベントに参加いただいた皆様、ありがとうございました。京都で参加の方も楽しみにしてください。そして、栗山さん、これからもよろしくお願いします。