秋になる
マレーシアを旅しているときには、東京よりずっと南にあるこっちの方が涼しいじゃん、なんて思っていたのに、東京も急に涼しくなった。久しぶりに長袖のシャツに袖を通し、ここ数日は自転車通勤のときに着替えのTシャツも必要なくなった。9月も後半になり、いきなり秋がやってきたみたいだ。
かつて、季節は水彩絵具のようにグラデーションを描きながら少しずつ変わっていったような気がするけれど、ここ数年は油性ペンで上から塗りつぶすみたいに急激に変わってしまう。その分体にはこたえる。そういえば最近周りで体調を崩す人も多い。さらに体だけでなく、感傷的でメランコリックな気分になりやすい夏から秋への季節の変わり目のこの時期は、心も調子にも気をつけないといけない。そこで小さな旅で気分を変えようと、週末にトラベラーズタイムズにも書いたサウナ付きカプセルホテルの自転車旅をすることにした。
ホテルの予約を済まし、本と着替えにノートをバッグに入れて家を出る。それだけでちょっとワクワクしてくるんだよね。涼しくなった分、自転車も快適だ。夕方カプセルホテルに着くと、いつものようにサウナに入ったり、本を読んだりしてゆっくり過ごす。夕食は中華屋でラーメンにビール。移動距離17キロのささやかな旅。
翌日ホテルを出ると、いつものように映画を観ることにする。特別観たい映画があるわけではないのだけど、それでも帰りのルート上にある映画館のサイトをチェックしてチケットを購入する。もともと僕は映画館にそれほど頻繁に行くほうではなく、よっぽど観たいと思わない限りわざわざ映画館に行かなかった。だけど、近場の自転車旅を始めてから、旅の帰りに映画を観るという流れが気に入って、それほど強く観たいと思っていなかった映画もあえて観るようになった。
僕にとって映画には、これは観たいと思う映画、積極的に観たいわけではないけど嫌いでもない映画、興味がまったくないし観たくもない映画の3種類ある。ただ、何ヶ月か前に観た『ルックバック』みたいに、それほど興味がなくても、観たら思いがけず感動する映画もあることが分かった(もちろん逆もあるんだけどね)。それに、旅気分が新しい世界との出会いを前向きにさせてくれる。
そんな感じで今回選んだのは『侍タイムスリッパー』だった。もともと単館上映の自主制作映画が、口コミで火がついて上映館が広がっているのは知っていた。ただ正直に言えば、侍がタイムスリップするというありがちなストーリーを想像させる安直なタイトルには食指が動かなかったし、そもそも時代劇にそれほど興味もない。ただ大きな資本を持たないインディーズが、メジャーを凌駕していくのは大好きな展開だし、他に観たい映画もなかったので、結局この映画を選んだ(ちなみにこの日の帰り道にはシネコンがひとつしかない)。
で、これも思いがけず感動する映画になった。明治維新直前の侍が現代にタイムスリップして、そのギャップに驚くギャグは想像通りのおもしろさなんだけど、その後のストーリーはコメディを超えた展開で感動を与えてくれる。映像の美しさ、名前は知らないけどベテランらしき俳優陣の熱のこもった演技、殺陣シーンの息を呑む迫力は、低予算を一切感じさせない。似たような広がり方をした映画『カメラを止めるな』は、アイデアと勢いの勝利といった感じだったけど、こちらは丁寧に作り込まれた風格みたいなものを感じさせるのだ。
なによりも感動したのは、画面からにじみでる作り手の愛だ。時代劇への愛、切られ役という日陰の存在への愛、そして、映画への愛。画面に映るすべてのものへの愛があるゆえに、作り手の熱量が半端ない。例えば、幕末からやってきた侍が、現代のおにぎりを食べながら、涙ながらになんておいしいお米なんだとつぶやくシーンがある。その役者の言葉と所作は、映画の作り手による現在のお米農家への敬意と愛さえも感じさせるのだ。
映画を観た後に、ネットで監督のインタビュー記事を探して読んでみると、この映画の成り立ちが分かりおもしろい。安田監督は、監督だけでなく、脚本、撮影、照明、編集に加え、広告のグラフィックデザインにタイトルデザインまで自ら担当している。俳優として助監督の役で出演している沙倉さんは、実際のこの映画の助監督でもあり、他にも制作や小道具も兼ねている。まさにインディーズの基本であるDIY精神に満ち溢れた少人数のチームが主体となって作られている。
一方、脚本のおもしろさから、東映京都撮影所から全面的な協力を得られることになり、撮影所が空いている時間に撮影したり、小道具や衣装をディスカウントしてもらい、低予算ながら質を落とさず撮影。また前作での縁から、立ち回りのプロ集団の協力を得ることができた。さらにこの映画に一貫してある衰退しつつある時代劇への愛と敬意が、その職人集団の本気の熱を引き出している(と思う)。結果的に映像のクオリティの高さにつながっている。
巨大な資本のない個人が映画を作るのが難しい時代。お金を儲けたいとか、有名になりたいという動機で映像を作りたかったらユーチューバーの方が圧倒的に手っ取り早い。だけど、そんなことよりも映画への深い愛と情熱があれば、個人でもヒット映画を作ることができるんですよね。最初はひねりがないと思った『侍タイムスリッパー』というタイトルも、まっすぐで正直な思いが表現されたものだと思えるようになってきた。そんなわけでやっぱり愛だよなあと心で呟きながら、大いに刺激を受けて映画館を出た。
写真は文章とはまったく関係ないのだけど、TABIYOがあるスレンバンでの朝の散歩で見つけた風景です。