2025年5月 7日

6年ぶりの香港

 香港を前回訪れたのは、2019年。LOG-ONでのイベントのためだった。あの頃は政治的な動きが活発で、イベント期間中もあちこちでデモがあった。それでも香港のみならず、シンガポールにマレーシア、インドネシア、台湾に中国本土からもたくさんの方が訪れてくれて、イベントは盛り上がった。

 あれから6年。世界中がコロナに襲われ、何年か国境を越えた旅が遮断。そんな中で香港は、政治的状況がすっかり変わり、同時にコロナ禍での厳しめの行動規制がしばらしく続いた。その後、コロナが終わっても、香港の経済状況は依然厳しく、訪れる旅人もすっかり減ってしまっているという話を聞いていた。

 僕にとって、香港は、イギリス統治時代の影響による西洋と東洋が混ざり合った文化的な背景に、自由貿易港ゆえに、世界中からやってきたビジネスマンや旅人に、さまざまな場所から流れ着いた住民たちが、狭い土地に暮らする混沌とした雰囲気がなによりも魅力だった。それに、海外を旅するようになって以来、最も訪れた思い入れのある都市でもある。6年の間に、香港がどう変わったのかを見てみたかった。

 今年の2月ごろ、パトリックがシティスーパーをやめるという話を聞いて、久しぶりにリモートで話をした。お互いの近況を話す中で、僕が軽い気持ちで「久しぶりに香港に行ってみたいな」と呟くと、「いろいろ案内するから、ぜひ、来てよ」と答えてくれたのが、今回香港行きのきっかけだった。

 ゴールデンウィークの予定がなかった僕は、なんとなくネットで香港行きの航空券をチェックすると、それほど高くない。「ゴールデンウィークなのに、香港を旅する日本人も以前と比べると減っているのかな」なんて思いながら、そのままチケットを予約し、香港に行くことを決めた。

 その後、ホテルを調べてみると、飛行機代と比べて、こちらは円安の影響もあって以前より高い。もともと香港のホテル代は高かかったけれど、コロナ前と比べて、感覚的には1.5倍から2倍くらい。そんなわけで、比較的安い、町の中心から少し離れた場所にあるホテルを予約した。

 さて、旅の出発は、成田空港。まずはトラベラーズファクトリーに寄って、ショートリップリフィルを買い、「HONG KONG」のスタンプを押し、旅用のリフィルを用意。14時ごろに成田を出発した。香港に着き、ホテルにチェックインしたのは、夜の9時少し前。部屋に荷物を置くと、まずは近くで軽く夕食をとることにした。

 香港にホテルから一番近い香港によくあるローカル食堂に入ると、チャーシューメンやワンタンメンなどがメニューに並んでいるのに、他のお客さんのほとんどがカレーライスを食べている。ここはカレーが名物なのかと思って、僕もカレーライスを頼むことにした。

 香港でカレーといえば、重慶大厦のインド料理屋で食べたことはあるけれど、それはあくまでも香港在住のインド人向け。香港ローカルの地元の人向けのカレーを食べるのははじめての経験だった。食べてみると、なるほど中華風にアレンジされているカレーでおいしい。遅い時間になのにぺろりと食べてしまった。こんな感じで偶然めずらしいものに出会えると嬉しい。単純な僕は、こんなことで旅の幸先がいいと思ってしまう。

 今回の旅は、夜に香港に着いて、出発日は朝早いため便なので、自由に動けるのは、その間の2日間。その2日間は、パトリックが朝から夜までばっちりスケジュールを組んでくれた。いやー、ほんとに最高のツアーガイドでした。

 初日にまず向かったのは、香港を旅したときは、必ず訪れる美都餐室(MIDO CAFE)。朝食として油揚げみたいなフレンチトーストとミルクティーをいただく。ここは、コロナ前からまったく変わらない。それから、おすすめのお店やカフェをいくつか周り、夕食は映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を見たという僕に合わせて、期間限定で映画のディスプレイをしている火鍋屋で夕食をとった。夕食後は、香港の一番の繁華街、尖沙咀をぶらぶらし、スターフェリーに乗る。

 香港名物のネイザンロードに突き出るように並んでいたネオンサインはほとんどなくなり、以前だったら、そこら中にいた欧米人や日本人もほとんど見かけなくなって、ちょっとした寂しさを感じたけれど、スターフェリーに乗って、あの頃と変わらない香港を感じられることができた。

 翌日は、九龍半島の東側、西貢という場所に行った。車でしばらく走ると、それまでのビルが乱立する風景から、緑が溢れる牧歌的な風景が広がった。そういえば、僕は香港で市街地から外れてこのような風景を見るのは初めてだった。パトリックの計らいで、あえて仕事では行かないような場所を案内してくれたのだ。そうだよな。香港は海と小高い山に囲まれているから、市街地を離れれば、こういった場所はたくさんあるんだよな。そんな当たり前のことに気づいた。

 江ノ島を思わるようなシーフードレストランや魚を売る店が並ぶ小さな港町で車を降りた。そこで昼食を食べると、船に乗って小さな島に上陸。この日は日曜日。自然のある場所で、憩いの時をすごしている家族連れの香港の人たちがたくさんいた。僕らも、気持ち良い日差しと海風を浴びながら、しばらく海を眺めた。そして、再び船に乗って、対岸の町に戻ると、80年代のおもちゃや本が壁一面に並ぶちょっと不思議なレストランで夕食を食べた。

 店主が日本人である僕に気を利かせているのか、BGMはなぜか日本の昭和歌謡。さらにビールは、香港ではたいていの店にあるサンミゲルや青島はなく、日本とベルギーのビールしか置いてない。香港の外れにある小さな港町で、バリバリに音が割れたシブがき隊を聴きながら、小瓶のアサヒスーパードライで乾杯をして、パトリックとこれからのことについて話した。

 パトリックは、トラベラーズノートを発売するきっかけになったISOT(国際文具・紙製品展)で出会って以来の付き合いだから、もう20年になる。あのとき、「使ったらレポートしてみてよ」と気軽に僕がお願いしたら、トラベラーズノートの使い方を広げてくれるような素晴らしいレポートを送ってくれて、それはトラベラーズタイムズ1号に掲載。さらに、ブログやSNSでトラベラーズノートを発信してくれて、海外の人たちに使ってもらうきっかけをたくさん作ってくれた。

 それからもスターフェリーに香港トラム、ミスターソフティーなどさまざまなコラボレーションを提案してくれたし、香港で開催したイベントを取り仕切ってくれたまさに、トラベラーズノートの最大の貢献者でもある。

 そんなパトリックが、シティスーパーを去り、新しい仕事を始めようとしている。僕は素直に応援したいと思ったし、これからも一緒に何かをしていこうと約束をした。