2025年9月22日

失踪願望

 夜に自転車で走っていると、ふと涼しい風を感じたりして、秋の気配が少しずつ近づいてくるのを実感するようになった。そうなると、夏が好きな僕は、暑い季節がやっと終わることにホッとするというよりも、心の中がモヤモヤとした雲に覆われたようで、どこかメランコリックな気分になる

 カミュの小説「異邦人」の主人公は、「太陽がまぶしかったから」人を殺してしまったように、秋の涼しい風だって、何かよからぬ妄想を引き起こし、気分を落ち込ませてしまうことだってある。

 そんなときにSNSやニュースを見るとより心がささくれ立つし、余計なことを考えすぎるのも良くない。心がモヤモヤしたとき、僕はエリオット・スミス、ニック・ドレイク、ティム・バックリーなんかのアコースティックギターの弾き語りで歌う、憂いを帯びたメロディーを聴くようにしている。ノートに向かって無心で絵を描いたり、心が落ち着く本を読んだりするのもいい。たとえば、自転車に乗って遠くの町まで行く。知らない町の銭湯なんかに入って、ぼーっとする、なんてこともいいかもしれない。

 でも、できることならひとりで適当にふらっと新幹線に乗ってできるだけ遠くの知らない土地まで行き、そこの町の安いビジネスホテルに泊まって、何日か目的もなく滞在してみたい。

 昼間は古本屋を覗いて、そこで手に入れた本を喫茶店で読んだり、ノートに向かって何かを綴ったりして過ごす。古い名作映画を流すようなミニシアターとか、居心地のいい図書館があったりしたら嬉しい。日が暮れたら銭湯に行って、夜は寂れた町中華で餃子をつまみにビールを飲む。そんな感じで何日か過ごし、その町に飽きたら、またふらりと電車に乗って、別の土地へと移動する。そんなふうに、世間との繋がりを一時的に断ち切って失踪するみたいに、しばらく町を転々と旅をする。

 それが海外であればなおいい。海外だととりあえず空港に行って適当にチケットを買って……、なんていうわけにはいかないから、ソウルとか、台北、バンコクあたりまでのオープンチケットを事前に買っておいて、何のプランもなくそこへ行く。町に着いたら、安いゲストハウスに泊まって、思いつくままに町をぶらぶらしながら過ごす。安い食堂でローカルフードに舌鼓を打ち、公園のベンチに座って本を読んだり、カフェでノートに何かを綴ったり。夜は屋台をひやかしながら、飲んだり、食べたりする。そんな感じで何日か過ごし、飽きたら電車やバスで田舎町へ移動する。都会の喧騒の中に身を隠すように過ごすのもいいし、何もない森の中や人気のない南の島のビーチで、だらだら過ごすのもいい。

 やることは日本も海外も一緒だけど、そんな旅をしているうちに、どこか気に入った町があれば、いっそそこの住民になってしまい、そのまま暮らしてみるのもいいかもしれない。なんて妄想しつつも、またふらりと家に戻ってそれまでの日常に戻る。

 年に何度かそんな失踪みたいな旅に出たい衝動に駆られることがある。でも、僕には家族もいるし、しがないサラリーマンだから、当然そんなことはできない。そういうことをすべて振り切って本当に旅に出てしまう人もいるのだろうけれど、僕は根が小心者だし、一応最低限の常識も持ち合わせている。

 年に1度か2度に一か月くらいそんな旅ができれば、たまに襲ってくるメランコリックな気分も癒されて、もっと楽に人生が送れるような気がする。まあでも、僕も含めて普通の人には、経済的にも時間的にもなかなかそんなことをする余裕はない(普通の人がそういうことを望んでいるのかは分からないけど)。

 せいぜい土日に、都内のカプセルホテルに一泊して、翌日帰ってくるくらいが関の山。でも、それだけでもひとときの放浪者の気分を味わうことができて、まあ、がんばってやっていこうという気分になる。大きな旅に出られないときには、あえて、小さな旅をしたり、日常を旅するように過ごして、なんとかメランコリックな気分をやりすごそうと思っている。

 この前の三連休もふと思い立ち、自転車に乗ってサウナ付きカプセルホテルへの一泊自転車旅をした。夜になるとサウナ上がりで町を歩き、ふと見つけた中華屋さんで、餃子にチャーハンにビールをオーダー。餃子をつまみにビールを半分ほど飲んで、その後でシメのように出てきたチャーハンにエビがたくさんのっていて、それがまたおいしかったりすると、それだけでニヤリとして心とお腹が満たされる。そんな小さな幸せを探して、それをノートに綴ってがんばりたい。もう今年もあと3か月と少しだしね。