2017年8月28日

TRAVELER'S DRIVE-IN 2

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残酷なほどに太陽の光が照つけるアスファルトの道路。汗が道路に滴り落ちてできる黒いシミを見ながら、峠の長い登り坂で、僕は必死に自転車のペダルを踏みおろしていた。この登り坂はいつまで続くのだろう。登りと下り坂がゆるやかに繰り返す方が楽なのは人生と一緒で、きつい登り坂はそれほど屈強でない自分の体力では辛いし、長い急降下を楽しんで滑降するほどの技術も持ち合わせていない。あまりきちんと調べないでこんなコースを選んだことをかなり後悔していた。
 
『どうして僕はこんなところに』。旅に死んだ紀行作家チャトウィンの本のタイトルが頭に浮かんだ。そして、僕もまたどうしてこんな辛いことを好き好んでやっているんだろうと思った。すると、オートバイが軽快に追い越していった。赤いドカティを運転する女性ライダーは、すれ違い際に軽く手を振って、さげないエールを送ってくれた。一瞬のそんなことでも僕は嬉しくなって、ペダルを漕ぎ続ける元気をもらったような気がした。
 
なんとか長い坂を登り切ると、見晴らしの良い場所に車が2、3台停められるくらいの小さな広場があった。ふらふらになりながら自転車を止めると、地べたに座って水筒の水をガブガブ飲んだ。リュックの中からノートを取り出し、出発前に書き留めていたルートを確認すると、今の時間と場所をページに書き込んだ。すると、ページに汗がしたたり落ちて文字が滲んでいった。それはどんな言葉よりも臨場感を伴って僕の今の状況をノートに表してくれたような気がした。
 
この後はしばらく下り坂が続くはずだ。僕はまた自転車に乗り、ペダルを踏みおろした。自転車の下りは気持ち良い。がんばって登ってきたご褒美のように、緑の香りがする心地よい風を体に受けながら、自然に自転車が進んでいくのに身を任せた。
 
気分良く下り坂を走っていると、曲がるべき道を通り過ぎていることに気がついた。元の道に戻るには、またきつい坂道を登らなくてはならない。僕は地図を確認し、このまま戻らずに行けるルートを探した。ちょっとわかりづらいけどなんとかなりそうだ。僕はそのまま走り続けた。だけど、どうやら間違いだったかもしれない。道はどんどん狭くなり、標識もなくなり、森が深まるなかで僕はだんだんと不安になってきた。山の天気は変わりやすい。あれほど明るかった空が、僕の気分を投影するようにどんよりした重苦しい雲に覆われてきた。雨が降り始めると、まだそんな時間ではないのに空が薄暗くなった。
 
「どうして僕はこんなところに」。ふたたびそんな気分になりながら、ただただ必死にペダルを漕ぎ続けた。すると、道の先にぼんやりとした灯が見えた。どうやら食堂のようなものがあるらしい。ちょうど空腹も頂点に達していた僕は、雨にもかかわらず自転車のスピードを上げた。
  
トラベラーズドライブインという名のその建物は、昔のアメリカ映画で見た荒涼とした砂漠地帯にあるダイナーのような佇まいで、ひっそりとそこにあった。自転車を停めると、少し緊張しながら黒ずんだ真鍮の引き戸を開けて中に入った。
 
カウンターの奥でコーヒーを淹れているマスターと目が合うと、「大変でしたね。これを使ってください」とタオルを渡してくれた。僕は思いがけない温かな気遣いに喜びながら、感謝の言葉を言うと、トイレで濡れた体を拭き、新しいTシャツに着替えた。あらためて店内を眺めると、古いのに凛とした清潔感と、素材の温かさを感じる調度品に、静かに流れるアコースティックギターの穏やかな音色、そして美味しそうなコーヒーと料理の匂い。僕はすっかりその場所を気に入ってしまった。
 
「どうしてこんな場所にあるんですか。こんなに素敵な空間に美味しい料理だったら、もっと人がたくさん来られる場所にあれば、すぐに人気のお店になると思いますよ」
 
僕はトラベラーズブレッドという、パテやマリネが添えられたパンを食べながら、少し失礼なような気がしたけど、率直に思ったことをマスターに言った。するとマスター静かにこう答えてくれた。
 
「ここには、迷ってたどり着いてほしいんです。僕は、いつも迷ったり、悩んだりする人間で、そんな時に本や音楽に出会って救われたことがたくさんあるんです。だから、ここも僕を救ってくれた本や音楽のように迷った心に灯をともすような存在になりたいんです」
 
僕は、思いがけず素敵な場所に出会うことができたことで、今日の辛かったことは、そのためのプロローグだったような気がした。
 
お店を出ると、雨はすっかり止んで、夕日が山の上を赤く染めていた。雨上がりの風は少し冷たさを感じる。どうやら夏もあと少しで終わりなのかもしれない。マスターによると、この道をまっすぐ行けば、目的地まではそれほど遠くないらしい。僕はすっかり良い気分でまたペダルを漕ぎだした。なんだか、このままどこへでも行けそうな気がした。
 
前にトラベラーズドライブインをテーマにした話を書いたら、ますます頭にそのイメージが浮かんできて、続編のような形で書いてみました。
 
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